毒を飲む

植物を知っている方なら誰でも知っている毒ってありますよね。

 

少し体調を悪くする物から、少しの量で致死量となる物まで。

 

以前、摂取量が少なくても致死性の高いある植物が誤ってエディブルフラワーの名前で広告に載ってしまう事件がありまして。

 

たまたま気付いて広告元に問い合わせて、その誤った情報が広まることを防げたのですが、無事故で済んだのは不幸中の幸いでタイミングが良かったからとしか言えません。

 

で、事故を防ぐ為には毒性のある植物を指摘するというのは当然の行いだったと思います。知識は人を守る為にもあると思うので。

 

ただ、違和感がありまして。

 

もし私があの時行動しなかった場合、「助けてくれなかった。」「見捨てた。」という評価は絶対に受けます。最悪殺人鬼呼ばわりされます。あの時もし広告に気付かずに事故が起きてしまった場合もです。

 

己の中からくる正義感や義務感での行動が出来なければそれは間接的な殺人とされるわけです。

 

善意を当たり前と受け取られて、その当たり前の振る舞いをしないと悪者とされる。非常に後味が悪い。

 

ポルノグラフィティの「ラストオブヒーロー」という曲が好きで10代の頃は面白い歌詞だなあと思って聞いていました。その歌詞では悪者とまではされないけれど、主人公は闘って街の住民(仮)を守るのが当たり前とされていた。まさか共感する日が来るとは。

 

小さい頃から強い人だと思われることが多くて、自分を犠牲にしても「何で助けてくれないの?」「助けてあげなよ。」って言われることが度々あったんですけど。「何で助かろうとしないの?」「私にできるくらいならあなたも助けてあげられるでしょ。何であなたが助けてあげようとしないの。」って思うことがあるんですよね。

 

植物毒に関してなら人より知識もあるし事故が起こるのは嫌なので防げるように水面下で動きますが、他者を守る為に闘って当たり前・やらないと殺人鬼扱いされるのは、なんだかなぁと思ってしまいます。

 

私が我儘なんでしょうかね。感謝されたいわけじゃないんです。ただ「何もしない=殺人鬼」とまで言われてしまうことに疑問を感じているだけです。今回の件だって、タイミング的に事故が起こる前に広告に気付いて取り下げてもらえただけで、実際は事故が起こっていてもおかしくはありませんでした。なので今頃罵声を浴びる状況にあったかもしれません。

 

それでも私は事故は防ぎたいから、比喩表現的に毒を飲むつもりで邁進致します。