最近もやもやしているお金に纏わる話。
またしてもかなり久し振りな日記です。
初手でブログタイトルを「更新が途切れがちな樹木医日記」にしておいて良かったなぁと思いました。
2022年は心臓を悪くしたという悪いことはありましたけれど、ありがたいことにたくさんのお仕事をいただいてかなり忙しくさせていただいた1年でした。
そんな毎日を過ごす中で非常にもやもやしていることがあるのでこちらに書きます。
「清貧」という言葉を、貧しいことは清いことだ、と勘違いをされている方に度々出会います。
そのような方達はお金を稼ぐということは卑しいこと、貯金があるというのは良くないこと、無償で働くことこそ清いことだと仰います。
私も昔はお金は稼げなくても良いと思っていました。
しかし、私は病気をして生き延びるためには大きい出費が必要だと言われたことがありました。その時お医者様に言われたのは、「日本では治療できない病気です。治療費は月200万円かかります。」でした。
そして日本ではその病気にかかった方の90%以上の人がその病気が原因で私が発病した2年後の年齢までに亡くなる、とのことでした。
あぁ、お金が無くて私は死ぬんだな。と思いました。
しかし、私が日頃ダイエットのために走り込みや筋トレをしていたためにスタミナがアスリート並みにあったからというギャグ漫画みたいな理由で発作に耐えられるだけの体力があったために私は生き延びました。
ダイエットというか太ることを予防するみたいな意識でした。それでもアスリート並みの体力がついていたということは一般的な運動量を遥かに超えていたと思いますし、一種の醜形恐怖症だったのでしょう。太っても可愛い方はたくさんいますが、私は太ると醜く見えるタイプだという自覚がありました。
そんなこんなで生き延びた数年後、親が病気にかかりました。
若かったため病気の進行が早く、私達が病気のことを知った数カ月後には主治医の方に余命宣告をされました。
せめて生きたいと思っている親を最期まで苦痛無く生かすために、私達は自宅で終末医療を受けようという話に自然となりました。
ただし、その医療を受けるために必要だったのは減免される医療費だけではありません。医療費の減免制度を使ったとしても、1ヶ月にかかる費用は約50万円でした。設備台もそうですし、私の田舎は恐ろしく交通の便が悪いので、お医者様に来ていただくのも結構な時間とお金が掛かるんです。3ヶ月で150万円払えなければ、穏やかに過ごさせてあげることができない。人それぞれだと思うのですが、痛みや苦しみを感じている親を見捨てることが私にはできませんでした。
お金がないと、いざという時に家族を苦しい思いから救ってあげることもできない。
そう痛感した私は前述したようにお金を稼いだり貯金をすることは卑しいことだ、と説いてくる方達には私はそうは思わない、というようになりました。
自分が病気をして治療に大金が必要だと言われた時には生きるのを諦めていました。でも病気になったのが自分ではなくて家族だったら、どうにかしてお金を工面する方向に動いていたと思います。
知人には、減免制度を利用するから後で戻ってくるけれど1ヶ月半で200万円払える貯金があったから急に病気をしたけれど治療が受けられたという人、貯金が無かったから借金をしてお子さんの治療費を用意したという人、貯金が無かったからご家族に治療を受けさせなかったという人がいます。どのような対応を取るかは人それぞれですが、私はいざという時に治療を受けるだけの貯金はもっておきたいと思うようになりました。
だからお金を稼ぐのは悪いことだ、清くあるには貧乏でなければならない、と“自分なりの清貧論”を説いてくる方には賛同できません。だって、私がその言葉に従ったとしてあなたは私の家族の治療費を出資してくれるわけじゃないでしょう?だったら従う義理はありません。
むしろ人を騙してお金を稼いでいるわけでも無いですし、これだけ泥臭い地味で地道な努力を積み重ねて頂いているお金に罪悪感をもつように仕向けられる意味が解りません。
私に“自分なりの清貧論”を唱えてくる方にはいつも、親御さんがご存命かどうかやご家族の介護経験やご自身の病気の経験について聞きます。今のところ皆さん親御さんはご存命でしたし、ヤングケアラーになったこともなく、ご自身が治療に大金が必要なご病気にかかったことが無い方ばかりでしたので、まぁそううことなんだろうな。と思います。
けれど、この病気治療・介護に大金が必要になってくるというのは自分が体験しないと当事者意識を持ちにくいものなので、私はそういう方を説き伏せる気はありません。その代わり私を説き伏せようとされるともやもやとしてしまうのです。
まぁ私は若くしてその問題が発生して、その方達にはこれからその問題が発生するということです。
私には意識が変わるタイミングが若いうちに起こったというだけの話ですね。
毒を飲む
植物を知っている方なら誰でも知っている毒ってありますよね。
少し体調を悪くする物から、少しの量で致死量となる物まで。
以前、摂取量が少なくても致死性の高いある植物が誤ってエディブルフラワーの名前で広告に載ってしまう事件がありまして。
たまたま気付いて広告元に問い合わせて、その誤った情報が広まることを防げたのですが、無事故で済んだのは不幸中の幸いでタイミングが良かったからとしか言えません。
で、事故を防ぐ為には毒性のある植物を指摘するというのは当然の行いだったと思います。知識は人を守る為にもあると思うので。
ただ、違和感がありまして。
もし私があの時行動しなかった場合、「助けてくれなかった。」「見捨てた。」という評価は絶対に受けます。最悪殺人鬼呼ばわりされます。あの時もし広告に気付かずに事故が起きてしまった場合もです。
己の中からくる正義感や義務感での行動が出来なければそれは間接的な殺人とされるわけです。
善意を当たり前と受け取られて、その当たり前の振る舞いをしないと悪者とされる。非常に後味が悪い。
ポルノグラフィティの「ラストオブヒーロー」という曲が好きで10代の頃は面白い歌詞だなあと思って聞いていました。その歌詞では悪者とまではされないけれど、主人公は闘って街の住民(仮)を守るのが当たり前とされていた。まさか共感する日が来るとは。
小さい頃から強い人だと思われることが多くて、自分を犠牲にしても「何で助けてくれないの?」「助けてあげなよ。」って言われることが度々あったんですけど。「何で助かろうとしないの?」「私にできるくらいならあなたも助けてあげられるでしょ。何であなたが助けてあげようとしないの。」って思うことがあるんですよね。
植物毒に関してなら人より知識もあるし事故が起こるのは嫌なので防げるように水面下で動きますが、他者を守る為に闘って当たり前・やらないと殺人鬼扱いされるのは、なんだかなぁと思ってしまいます。
私が我儘なんでしょうかね。感謝されたいわけじゃないんです。ただ「何もしない=殺人鬼」とまで言われてしまうことに疑問を感じているだけです。今回の件だって、タイミング的に事故が起こる前に広告に気付いて取り下げてもらえただけで、実際は事故が起こっていてもおかしくはありませんでした。なので今頃罵声を浴びる状況にあったかもしれません。
それでも私は事故は防ぎたいから、比喩表現的に毒を飲むつもりで邁進致します。
倒木セミナー2After talk
こんにちは。
先日、オンラインにて倒木セミナー2を開催していただきました。
その際、耐火樹種について上手く伝わっていなかったのでは?と思い補足記事を書きました。
樹木には耐火樹や防火樹と呼ばれる種類があります。文字通り火が付きにくく燃え拡がりにくい樹種です。イチョウやサザンカが有名です。
例えば燃え易い樹木で構成されている森林があるとします。
図の緑の葉が燃え易い樹種、青い葉が耐火樹種として模式的に表現します。
もし、この森林で火災が起こると。
炎は全体的に燃え拡がるでしょう。
もし、森の中に耐火樹が含まれているとしたら、
耐火樹が炎の拡がりを食い止めます。
拡がりを食い止めるということは、火事が大きくなる前に消防車が到着出来て火災が早く鎮火できる可能性がより高まるということです。
そして民家が隣接した森林との境目を防火樹で区切ると。
森林火災から民家を守ることが出来ます。
また民家で火災が起こった場合、森林へ燃え拡がることを防ぎ、近隣地域への炎の拡がりを防ぎます。
耐火樹があることは防火扉があるようなものだと思っていただければ伝わるでしょうか。
以上で説明終わりです。
次回の倒木セミナーをお楽しみに。
地方移住を進めるための3つの課題
こんにちは。
私は今比較的都会の方に住んでいるんですが、地元は千葉県の田舎です。
昨年から地元の地方創生団体にも所属させて貰って、樹木医として活動させて貰っています。
どの地方も共通する話題で“過疎化をどうやって止めるか”がありますよね。
人工過密都市から移住者を引っ張ってくること。この人の動きは人口減少を食い止めてくれる重要な動きとなります。
さてここ数ヶ月多くの企業がテレワークを取り入れました。
この社会の流れにより、「都会で働く必要はないんじゃないか?」、「田舎で在宅ワークできるんじゃないか?」という声をよく聞きます。
そして多くの地方が「テレワークをきっかけに人工過密都市から人を引っ張ってこれないか?」と言っているのも聞きます。
ここで、都会と地方両方に拠点を持つ私の目線から、地方が都心から人を呼び込む為に押さえておくべきポイントを3つに絞って挙げていきます。100%主観です。
【1.インターネット環境を整える】
テレワークにはWEB上での書類の遣り取りやWEB会議が必須です。
ここに立ちはだかるのが
・地方電波悪い問題。
・ポケットWi-Fiテレワーク不向き問題。
地方電波悪い問題は地方に行ったことがある方ならお気づきなのではないでしょうか。
都心から遠ざかるにつれて電波も徐々に繋がりにくくなっていく……読み込みにかなりの時間を要す……ビデオ通話が止まる止まる……等。
またここでポケットWi-Fiしか契約していない方がテレワークに必要な通信量に耐えられない、という話がちょっとした話題になりましたね。
もう一度言います。テレワークには良いネット環境が必須なんです。
ネットに強い街にするかネットに強いコワーキングスペースの設営が必要かと思います。
【2.交通の便問題】
都心は電車が発達しています。色々な場所にも行けるし本数もあります。
それに対して地方では車が無いと生活必需品を買いに行くのも病院に行くのも難しいです。
都心に住んでいて車を持っていない人が田舎に移住すると、新しく車を買わないと不便を感じると思います。
非車社会から車社会への適応はなかなか大変なものです。
会社の車を運転していた方ならともかく、ペーパードライバーの方だと車社会に飛び込むのは骨が折れます。
そこで公共交通機関の発達・使いやすさがあるといいなと思います。
これは私が全国出張して感じたことなんですが、発展している地方都市って交通機関も発達しているんですよね。逆に過疎化が進んでいるなって地域の交通機関はローカルルールが押し付けられて外から来た人間にあんまり優しくない。
車を持たない移住者に向けて、その地域で使える交通機関やタクシー会社について時刻表記載のパンフレットがあると良いかもしれません。
公共交通機関は、例えば地方でテレワークされている方が本社で会議する時等に重要な役割を果たします。テレワークされる方を呼び込むには都心への通いやすさも明示したほうが良いと思います。
【3.病院と救急体制】
なんといっても命に関わるのは病院と救急体制。
地方よりも都心の方が病院が多く、また通報から救急車が到着するまでの時間も短いのが都心です。単位面積辺りの病院の件数も多いので。
循環器系の不調は少しのタイムロスが命に関わります。けれど地方は都心よりも救急車到着までの時間も長い。全国平均で通報から救急車到着までの時間8.6分です、2020年1月現在。
この問題を解消する為に、住民への積極的な救命救急講習開講等の措置が考えられます。
私の友人が心臓の不調で倒れたことがあります。その時たまたま後ろを歩いていた方が医療関係の方でした。倒れてすぐ蘇生措置に入り、周りの人間に救急車を呼ぶよう支持を出し、救急車到着まで蘇生措置を続けてくれたお陰で後遺症が残らずに済みました。生きることが出来たかつ後遺症が残らなかったのはすぐそしてずっと救命措置を受けていたからに他なりません。
このような万が一の事態に強い体制を作ることは住みやすい街の基盤造りとなります。
私が思う地方が取り組むべき課題は以上の3つです。
他にも地方は店が遅くまで空いていない、虫が多い等の短所をよく耳にしますがこれらを解消してしまうことは地方の良さを潰してしまうことに繋がるのでこれらの点は移住希望者のお好みですね。課題の解決には費用の問題も関わってくるので自治体のポテンシャルも非常に重要になってきますね。
今回このように纏めましたが、他にも気付いたことがあればまた記事書きます。
事実婚について。
私と旦那は事実婚をしています。
付き合いは12年以上、結婚してもうすぐ4年。
事実婚というものの実態が世の中であまり知られていないにも関わらず、法律婚じゃないと駄目だと度々批判されることがあると感じていました。そして、「事実婚ってどうなの?」と聞かれることも多いです。
なので事実婚について感じたことを書いてみようと思います。
事実婚と法律婚の違いについては、私が語るよりも法律の専門家さんの発言を参考にされたほうがわかりやすいかと思うのでそちらを探して見て下さい。
まず、なぜ私達が事実婚に至ったか。それは私達には法律婚よりも事実婚の方が合っていたという理由が大きいです。
事実婚は婚姻届を出さない。役所に転入届けを出す際、事実婚の手続きもします。お互いに婚姻関係を結んでいる相手が既に居ないことを確認して貰い、晴れて事実婚の登録をして貰えます。
ここで事実婚を否定する人とした会話を挙げます。
私「事実婚に反対されているようですが事実婚と法律婚の違い分かっていらっしゃいますか?事実婚がどういう制度かご存知ですか?」
事実婚反対派の人「分かりません。」
全員がこうでした。
分かっていないのに否定されても納得出来なくないですか?こっちは熟考した上で事実婚を選んだのに。
ということで私が事実婚を選んだ理由を挙げます。事実婚と法律婚のメリット・デメリットは夫婦間によってかなり違うのであくまで一例として読んで下さい。
1、キャリア
私は学術的な仕事もしています。
ここで弊害になってくるのが「名字が変わったら同一人物の実績とみなされずキャリアが0からリスタートになる場合がある。」ということです。
旧姓で論文を書くことを許してくれている学会もあるが、これは学会によりけりです。しかも、方針などすぐ変わります。昨年まで「旧姓OK」だったのに今年から「本名のみ」になる場合だって考えられます。
ピンときていない方は「名字が変わったくらいで。」と思われているかもしれません。
では例え話を1つ。22歳で就職し、32歳で結婚して名字が変わったと仮定します。
名字が変わった途端同一人物とみなされなくなる為、それまでに積んだキャリアが無かったっものとされます。10年かけてした昇給が無かったことになり、新卒の頃と同じお給料に戻るようなものです。
無論、これは所属している学会や業界や会社のさじ加減に寄るので、そうなるとは言い切れません。少なくとも私の所属では残念なことに他人が名字を変えることに柔軟でない方々が居ます。
2、相続
法律婚において、相続は切っても切れない問題かと思います。
寧ろ法律婚される方で結婚前に相続について話し合いをされない方が不思議でなりません。
私は家族が亡くなった時、急逝だった為相続がとても大変でした。
銀行1件1件何日も掛けて巡ったり、車を相続しない意思を示すにも直接家族に会ってサインが必要だったり。
大変なので自分が誰の資産の相続人なのか?また自分に何かあった場合誰に何を相続させるのか?結婚前にはっきりさせておいたほうがいいという考え方をしています。
私達は現状では相続の点において実家に籍があった方が良いので、事実婚が合っていました。
3、パートナーシップ制度
インターネット上で見る解説では大切なことが抜けていたりする為、細かいことは法律家さんに聞くと良いでしょう。
近年色々な自治体が取り入れ始めたパートナーシップ制度と事実婚を組み合わせることで、事実婚のデメリットを無かったことに出来ることがあるんです。
デメリットは夫婦によって違うので、一例として読んで下さい。(2回目)
例えば、思想や病気により出産予定が無い夫婦、また子供が成人してかつ新しく子供を授かる予定の無い夫婦は事実婚の方がメリットが大きいと仰る弁護士さんもいらっしゃいます。
では子供を授かる予定のある夫婦はどうなのか?
事実婚の場合、妻と夫は赤の他人とみなされる為、出産の際分娩室に入れないことがあります。ざっくり言ってしまえば夫と妻を一心同体とみなすのが法律婚です。だから法律婚している夫が妻の出産に立ち会うのは認められているのです。
ここで、パートナーシップ制度を活用すると出産に夫が立ち会えることがあるのです。「ことがある。」という表記であるのは、パートナーシップ制度により受けられる恩恵は自治体によって異なるため、一概にそうだと言い切れないためです。
他にも家族割引、生命保険の受取人に指定出来る、等のメリットも上げられます。
ざっくりした理由を挙げるとこんなところでしょうか。
事実婚だと扶養に入れないのでは?と聞かれることが度々あります。
社会保険上は扶養に入れます。
私も旦那も由緒正しい家の人間なのに事実婚なんて、と難癖つける人も居ます。
旦那の家の歴史に比べれば、明治以降に発足した法律婚の歴史は浅いです。
家の由緒を言うなれば事実婚より寧ろ法律婚ではない時代の方が長くなってしまう為、家の歴史は事実婚を否定する理由にはできません。
私は法律婚において1番大変なことは相続だと思っています。
例えば私が事実婚を否定されたから法律婚に変えたところで、私に事実婚をやめて法律婚するように言った人に利益があるわけでも迷惑が掛かるわけでもありません。
その方が私達の相続税を出してくれるわけでもありません。
迷惑が掛かるわけでもない、相続税を出してくれるわけでも無い人に否定されたからと言って法律婚に変えなければならないのは何故でしょう?
今後、家族や親族の人の動きで立ち位置が変わることも考えられます。
その時は状況に合わせて法律婚するかもしれません。
法律も制度も価値観もぐんぐん変わるこの世の中を生きるに当たって、柔軟に対応することが社会に適応して生きやすくするコツだと思います。家庭環境が複雑だったりと法律婚だと都合が悪い点がある方は、事実婚を視野に入れると良いかもしれません。
他人に流されずにその時その時において良い状態を選択できると良いですね。
非政治家が法律に口を出してはいけないのか。
お久し振りです。
書きたいことは多々ありましたが今はこれを書くタイミングではないな、といううことを繰り返していたら5ヶ月近く経ってしまいました。
そんな昨今、とても気になる文言を頻繁に目にするので筆を、もといブログを起動しました。
その文言は「政治家じゃない人間が法律に口を出すんじゃない。」です。
日本は国民主権、民主主義です。
国民主権は文字通り国民に権利が有るという事。ざっくり言えば国民皆に関わることは皆で決めよう、という事です。
皆で決めようという事は、誰が法律や政治に意見を持っても悪いことでは無いという事です。
日本国憲法では政治家では無い国民が法律や政治に口を出すことを禁止してはいません。
以前、ある希少疾患の難病指定の為の活動に参加しました。
その病気は最悪死に至る病でした。日本でその病気は治療薬の認可が下りておらず、一般的な収入では治療を受けられない状態でした。正式な治療を受けようとすれば、薬代で月数百万円掛かる状態でした。
もしその病気が難病指定されれば、医療費助成の対象になり得ます。
金銭面を理由に生きることを諦めずに済みます。
命が助かる可能性が高くなる。その為に私が参加した活動は難病指定を求めるための署名活動でした。
なぜそこで署名なのかと言うと
・希少疾患である為認知度を上げる必要がある。
・医療助成金等は税金を財源の1つとしている為、税金を支払っている国民の皆様の同意をいただく。
・難病指定をする政治家の方の人件費は税金から出ている。
これらが主な理由です。
これらの理由を説明して、納得していただいて、「難病指定に賛同・賛成するよ。」という意思を示す為に署名をいただきます。
私達はこの活動を通して60万人以上の方から署名を集めて厚生労働省に提出し、その希少疾患は難病指定されました。
この難病指定は政治家でない私達が法律を変えるために行動しなければ起こらなかったでしょう。
これは私にとって成功体験であり、客観的に見たら昔の成功に固執しているように見えるかもしれません。
ですが、このことで私は他人の命を救ったと言えます。
命より価値のあるものはありません。
だから私は日本が国民主権である以上、国民が政治や法律に口を出してはいけないと思えません。